財布を拾ったパチンカスエピソード:日本人としての誇り

とあるニュースで、ナイジェリア人が日本で財布を拾って交番に届け、落とし主から感謝の意がナイジェリア大使館を通じてナイジェリア大統領へ届き、その大統領から財布を拾ったナイジェリア人に「あなたは国の誇りです」というメッセージが届いた言うニュースがあった。

自分に問いかけてみる。

自称、パチンカス歴15年。

35年の私の人生の中で、今まで何度財布を拾ったことがあるのか…?

思い出してみると、私は日本人として誇れるものは、何一つ無かった。

財布を拾ったのは3例だ。

財布を拾ったお話①

一つ目は、小学校の頃、駄菓子屋さんに集まりJリーグチップス、Jリーグアイスなどが流行っていた時代、貧乏団地のブロック塀でキティちゃんの小銭入れを拾った。

もちろん小学生の低学年であったが為、300円位だったと記憶している。

キティ小銭入れも、恐らく同じ小学校の女の子の物だろう。

そのお金で駄菓子を買って食った。

小学生だったので許してほしい。

財布を拾ったお話2

二つ目は、非常に情けない…キチガイになりたてのパチンカス養分時代の出来事。

23歳くらいの時だった。

パチンコ屋に寄り、倖田來未で2万円くらい負けていて、近くのレンタルビデオ屋のトイレでウンコをしていた。

トイレットペーパーの棚の所にガッツリ財布があった。忘れものだ。

多分、この話はいつの日かの日記で書いたと記憶しているが、財布を見ると現金は4000円くらいしか入ってなかった。

中身を物色すると、免許証・銀行のキャッシュカードが入っていた。

免許証を見てみると、ここは福岡なのに、熊本県の住所の方だった。

銀行は熊本ファミリー銀行だったと思う。

もしも彼が財布を取りに戻ってくるかもしれない。鉢合ったらどうしようか。色々考えたが、とりあえず財布を取ってその場から逃げた。

私は熊本ファミリー銀行が使えるコンビニを探した。

セブンイレブンで利用可能だった。

免許証の生年月日(昭和50年11月8日)から暗号を解読し、5011と打ち込んだ。

失敗したらダッシュして逃げようと決めていた。

すると、奇跡の暗証番号一致。

 

【お引き出し】

 

押す。

残高:48円

ふざけるな!!!

 

私は近くの池に財布を投げ捨てた。

奪った4000円でパチンコ屋に戻り、フィーバー倖田來未を打った。

もちろん負けた。

今思い出すと、その後の20代の借金人生は、神からの天罰だったに違いない。

心から反省している。

若年性パチンコ依存症が、人生を狂わせるのだ。

財布を拾ったお話Ⅲ

そして三例目。

28.9歳くらいの頃だったと思う。

もちろん当時は借金返済に奔走していた頃だ。

しかしながら仕事はアルバイト掛け持ちが順調で、忙しくてきつかったけど充実した毎日。心には「お金だけじゃない」余裕があったと思う。

このブログを始める1年くらい前だっただろうか。

金もないくせに、1パチ5スロリハビリしてるくせに、酒は辞められない。典型的なパチンコ依存症、パチンカスである。

よく飲んでいた。

そして酔っぱらって、帰宅する為タクシーに乗った。

節約する為にチャリを買ったのもこのくらいの時代だった。

家についてお金を払った後、運転手さんが

「兄さん!忘れとるよ!ほら!」

と言って財布を後部座席から取り、私に渡した。

知らない財布だとすぐに気が付いた。

しかし私は…

「あ、ありがとう!気を付けて運ちゃん!」

と言って、受け取った。

とっさの判断だった。

普通だったら「僕のじゃないです!」と言うべきである。

しかし借金苦だったため、ラッキー!と思ってしまったのだ。

財布を物色すると、3万円、免許証、名刺、領収書、クレジットカード、ポイントカード…

パンパンだった。

私は…罪悪感に襲われた。

あの、熊本ファミリー銀行が頭をよぎった。

ほろ酔いだったので、タクシー会社は覚えていなかった。

返そうと思ったからだ。

しかし、時すでに遅しであるし、自分と違う財布だと気が付いていたのに嘘をついて受け取ったのは事実だった。

これを窃盗と言うのだろうか。これが罪悪感だ。

名刺には、大手物流会社支店長と書いてあった。

そうだ。

私も、高卒で物流会社に就職した経験があった。

当時の九州支店の支店長は、凄く良い人だったのを思い出した。

高卒18.9歳の僕に、当時50歳くらいだっただろうか、松平健のような支店長は喫煙所で気さくに話しかけてくれた。

「おお、新人くんか。お前高卒だろ?中々気合入ってて良いじゃん。俺も高卒でリーゼントだったからなぁ。タバコは中1から吸ってるよ。新人くんガンバレ!」

見た目は松平健なのに、性格はヒロミか、的場浩司だった。

東京本社から単身赴任で九州に来ていた人だった。ロバート秋山が真似をする思春期の目をした18歳の私。イキがっていた私の髪は茶髪で、先輩からは目を付けられていたと思う。そういう会社の先輩らとは仲は良くなれなかった私。しかし支店長は、私のギャンキチだという本質を見抜いていたのかもしれない。そんなクソガキだった私を部署が違っても可愛がってくれた。法律上は未成年だけど、もう社会人。酒もたばこも博打も自己責任だと色々教えてくれた。つまり、18歳だけど会社の飲み会では酒もたばこもOKだった。今生きてたら、支店長はもう68歳くらいか。当時マツケンサンバを部下の前で踊っていた支店長。会いたいなぁ。

なんて物思いにふけていた。

この財布の持ち主も、そんな素敵な支店長かもしれない。

名刺の会社に電話してみた。

夜23時ごろだったので、当然誰も出ない。

名刺には携帯電話番号も書いてあった。

電話してみる。

留守電だったので、伝言でこう残した。

「あなたの財布をタクシーで拾いました。明日の朝○○交番に預けておきますので、受け取ってください。」

めちゃくちゃドキドキした。

競艇で456ボックスを買っていて、スタートで4号艇が捲りに行った時のドキドキ以上だった。

だって私は、盗もうとしていたからだ。

「お前貴様俺の財布盗んだろうが!!!」

と怒られるかもしれない。完全な被害妄想である。これもパチスロ依存症の後遺症だ。

翌日交番に持っていったのだが、お巡りさんにしつこく聞かれた。本当に面倒で嫌だった。

拾得物なんとかみたいな紙に書かされ、連絡先など載せますか?なども聞かれたと思う。

私は断った。

感謝も不要だったからだ。

なぜならあの時の、熊本ファミリー銀行を池に投げ捨てた自分。

盗んだお金で、倖田來未。

23の昼。

どこかで聞いたことがあるフレーズだ。尾崎豊か。

未だに罪悪感があったから。

私には感謝される資格は無い。そう思った。

しかもあわよくば、支店長から3万円盗むことだってできた自分。

少しでもそう言う気持ちが芽生えた自分が嫌だった。

もちろん財布を交番に届けた後は知らない。

仮に、高卒当時の支店長が嫌いな人だったら、僕は拾った支店長のお金を盗んでいた。

つまり何が言いたいのかと言うと、人にやさしく。ザ・ブルーハーツ。

2番の歌詞が特に好きだ。

人は誰でも、くじけそうになるもの

ああ僕だって今だって

叫ばなければやりきれない思いを

ああ大切に捨てないで

人にやさしく、してもらえないんだね

僕が言ってやる!でっかい声で言ってやる!

ガンバレって言ってやる!

聞こえるかい?ガンバレ!!!

 

涙が出てきた。

人にやさしくすれば、それが何十年の時を経て、自分のやさしさに繋がるんだ。

それが日本人の誇り。

その財布拾得以降、私の借金返済もうまく進み、今はパチスロ依存症からも解放されつつある。

心が入れ替わった瞬間だったのかもしれない。

30歳を過ぎて、日本人としてどうあるべきか。

最近よく考える。私も間もなくアラフォーとなる。時は早い。

20代の頃は何も気が付かなかった。

パチンカスの皆も、いつか気が付く日が来てほしい。

今気が付けただけでも感謝。

気づかせてくれたナイジェリア人に感謝。

これを読んでくれている皆にも感謝。

もちろん今の国際政治は別だ。日本を敵視する外国に優しさは不要である。