パチスロ引退記録:パチスロ真・三國無双

パチスロ辞めます。

今まで何度言ってきただろうか。

日本全国のパチンカスは、負けるたびに

「引退する」

「もう絶対打たん」

「辞めてやる糞が」

そう言い続けてきた。

どうせ私も引退すると言ってまた1カ月後には打つのだろうが、今は本気で引退するとここに宣言する。

絶対にパチンコ屋に行かない。

5スロリハビリもしない。

時間潰しに1パチもしない。

昨日の帰り道、強くそう思って真っすぐ帰宅した。

心が穏やかになった。

私が乱暴だったのはパチスロのせいだった。

その帰り道、チャリで福岡市内を爆走していると、無くなったパチンコ屋の前を通過。

色々な思い出がこみあげてきた。

だからこそ、書き残しておこう。

私のパチスロの思い出を。

博多区住吉のパチンコ屋キューブ

5号機の思い出。

博多区住吉に、キューブというパチンコ屋があった。

地元話で申し訳ないが、城南線という大通りがあり、西方面から博多駅に向かう道。

↓サンセルコの交差点(ホテルニューオータニ)

目線の先に行けば博多駅に着く。住吉通りと書いてあるが、地元民は住吉通とはほぼ言わない。城南線である。

真っすぐ博多駅方面へ直進すると、柳橋という橋がある。

その橋を過ぎたら左手にパチンコ屋があったのだ。

柳橋には市場があり昭和臭い若干の観光スポットでもある。その市場の向かいのサンロード清川という商店街にもつい最近まで「一丁目会館→ラポール一丁目」という昭和ホールがあった。普通機などが置いてあったし玉購入は500円からだった。2017年廃業。

↓柳橋。橋の向こうに見えるのは中洲の南新地という風俗街。

福岡市もクソゴミ市長のおかげで街の様子が様変わりし、今風か知らぬが変な街になってしまった。これは冗談ではない。アジアの窓口と言いながら、牛耳ているのは中華企業である。都市部の商売も中国経済に依存し、もうむちゃくちゃである。今では中国の都市の一部となりつつあると言っても過言ではない、それが博多だ。もちろん私は地元民で地元にしかお金を落とさない人間であるから東京チェーン店や中華企業などに絶対お金は落とさない。

橋を超えたら中央区から博多区となり、住吉神社がある住吉の入り口だ。

そんな住吉の入り口に小さな廃墟のようなパチンコ屋があったのだ。

その跡地には今ドデカいホテルが建っている。

誰が泊まるんか。

どうせ中国人だろう。

この物件を調べると、「えん」というエンクレストというマンションで福岡では有名な不動産会社の本社となっていた。

昔はパチンコ屋と隣接してロンドンかニューヨークか忘れたが、カラオケ屋やゲームセンターなどもあって、私たち地元民の遊び場だった。

それが金持ち糞野郎土地コロガシ企業に買収され、中国人向けの商売へと変わってしまったのだ。

変わりゆく街並み。

それは仕方がない。

だって金儲けの為に全ては動いているのだから。

進化も大事だが、どこか悲しいと私は思う。

早く武力衝突が起きて、中国依存から目を覚ましてほしいと強く願う。

その場合は喜んで日本の為に命を懸けて戦いたい。

と過激な事を言っているが、別に中国そのものが嫌いなわけではない。中国共産党が作る中国が嫌いなのであって、仮に自由主義の国になれば仲良く共に発展で良いと思う。しかし中国共産党と分かっていながら技術を贈り人を贈りお金を贈り、政治・マスメディア・経済・文化・全て中国に完全に乗っ取られた日本政治・日本経済がアホだと思う。目先の利益だけ、自分だけが金持ちになればいい、そんな日本人が多いのも事実だろう。カジノ構想でも自民党議員が中華賄賂で逮捕される始末。しかし日本人は怒らないので、何も変わらない。つまり日本は中国の省となるのは時間の問題だろう。なぜなら福岡市民は中国人民なのだから。まあそんな事は置いといて。

そんな中国福岡省・博多という街にあったキューブというパチンコ屋は、2005年から2010年に存在した。

その前はレディパレスというラブホテルみたいな名前のホールだったそうだが、私はクソガキだったので覚えていない。

2010年にキューブが潰れ、2014年までパーラー123というホールがあった。

近くに「123」というホールもあるが、それとは違う123である。

今現存している住吉の123は、NOBUTAグループという大阪のパチンコ屋だ。

私が言っている中国福岡省住吉にあったパーラー123はそれとは関係ない、(株)一二三興産という会社であり、調べるとなななんと鹿児島沖永良部島、ほぼ沖縄にある会社だった。

もちろん今調べて初めて知った。

パーラー123は、鹿児島、熊本、佐賀、福岡でパチンコホールを経営していたが、今は鹿児島で数店舗しか残ってないみたいだ。

九州以外にも、大阪・福井で「不夜城」というホールもやっていたそうだ。ソープランドにしか聞こえない。

歴史を見ると、地場産業の苦しさが分かる。

本日は、そんなキューブ・パーラー123でよく打っていた機種の思い出を語りたい。

パチスロ・真・三國無双

パチンカスの皆は覚えているだろうか。

2011年のオリンピア機種であるが、A+ARTだ。

当時は押し順ベルではなく、左リール図柄3択ベルが基本だった。

いつから押し順が当たり前になったのか?

パチスロがゴミになったのも、押し順ばかりになったからだろう。

3択色ナビでの嬉しい瞬間。

ナビ通り目押しをするとズルっと滑ってハズレ目=ボーナスや、チャンス目でゲーム数上乗せなど、多彩なリール演出で楽しませてくれていた。

真・三國無双のARTは2種類あり、三國ラッシュ呂布ラッシュだ。

ずっと「ろふ」と思っていたが「りょふ」と知った当時20代の私。歴史を勉強するようになり、好きになったのもパチスロのお陰かもしれない。

共に50ゲームワンセット、ゲーム数上乗せ型だ。

三國ラッシュはなかなか乗せないが、ゲーム数が大きい。

呂布ラッシュはめちゃ乗るが、基本5ゲームだ。

戦国BASARA2で言えば、前田慶次伊達政宗

戦国BASARA3で言えば、徳川家康石田三成

というか呂布ラッシュにはなかなか入らない、まさにプレミア的なARTだったと思う。それが意外と呂布バトルでチャンスが巡ってくるので、打っていて飽きなかったしドキドキ台パンなども懐かしい。

そんな呂布ラッシュに、私は2回入れている。

それが、今は無き住吉のキューブ・パーラー123だった。

昨日チャリで前を通ったら信号待ちで、キューブの跡地を見てパチスロ真三國無双を思い出し、涙が出てきたのだった。

そこでこれを今書いている。

ボーナスは、ビッグ203枚バケ50枚

バケもゴミボーナスではなく、ART中に引いたら毎ゲーム上乗せ確定だった。

天井も恩恵はARTのみであったが、最大998ゲーム。

また、各ゾロ目ゲーム数で天井の振り分けがあった。

332の天井14%あり、非常に考えながら立ち回りが出来る機種だった。

そして通常時も、4~50ゲームごとに周期RTなどがあり、高確率中の強レア役でART抽選が受けれて次回周期でART発動、その際に中段JAC揃いで呂布バトルなど、とにかく軍資金が尽きるまで、呂布ラッシュ入れるまで打ち倒したい、そう思える機種だった。

当時のオリンピアは三國無双も楽しかったし、探偵物語、キャッツアイ、など打ちたい機種ばかりだった。

その前は、特に好きだったのが

アイアムコニシキだ。

あの相撲、小錦のパチスロである。

思い出は沢山あるが、長くなるのでやめておく。

もうあれから10年が経ったのか…

当時の機種を、今の糞みたいなパチスロ制作陣に打ってもらいたい。

時代も大きく変わり、今ではウンコみたいなクソガキのような奴がパチスロを作っている。

だから私はもうパチスロ辞める。

こんなに打ち手を舐めら腐られ、どのような抽選をしているか分からない中で金を吸い上げられ、黙っていられるものか。

ふざけるんじゃないわよ。