「加藤の乱」からみる、現代ネット社会と未来の日本

加藤の乱

皆さんは、「加藤の乱」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか。

2000年、政治家(自民党)の加藤紘一が山崎拓と共に当時自民党総裁=内閣総理大臣であった森喜朗を打倒しようとして内輪揉めした、加藤の乱。

最近の2019年では、宮迫&田村亮の反社会的勢力との関係問題にて、吉本興業の会長・社長に退陣を求めた極楽とんぼ加藤浩次による、加藤の乱。

私は九州人ですが、加藤と言えば熊本の加藤清正が有名です。

加藤清正による「加藤の乱」は、ざっと調べましたが見当たりませんでした。

唯一見つけた本物の加藤の乱は、関ヶ原の戦い前、島津氏(鹿児島)が家臣であった伊集院氏(鹿児島)を斬り殺したことで起こった内乱「庄内の乱」で、加藤清正は反乱を起こした伊集院側を支援したそうです。これが唯一の、本物の乱でした。

さて、来週月曜日は6月8日です。

少し早いですが、皆さんもうお忘れでしょう。あの加藤の乱を。

今から12年前の2008年6月8日。

私の青春であります、山佐のバイオハザードが出たのは2008年7月。

4号機時代が終わり、5号機はクソクソ言われていたあの時代です。

メイン機種以外にもバチヘビノッチ、くにおくん、ソニックライブなど糞店に数台しか入らないけど面白い機種が沢山あった時代。

東京・秋葉原にて、青森県から上京してきた加藤智大(かとうともひろ:当時25歳)

トラックに乗り、歩行者天国に突っ込んできました。

トラックから降りた加藤はサバイバルナイフを片手に、次々と人を刺していきます。

7人の方が亡くなりました。

当時22歳だった私。東京から遠く離れた九州で、風俗の仕事をしながらパチスロに没頭していました。

当時の福岡は暴力団の抗争事件などが多く、飲酒運転事故も目立っていた頃、このようなオタク系事件は他人事だと思っていました。

加藤は当時25歳、私の3つ上です。

まさに就職氷河期。

ここで加藤を軽く振り返ってみましょう。

加藤智大の歴史

加藤は1982年9月28日、青森県五所川原市で生まれます。

凄く頭がいいらしい青森高等学校を卒業、岐阜県の中日本自動車短期大学を卒業し、仙台市の警備会社に就職。

正社員ではなく、準社員だったそう。

なんと、母親からお金を借り、自動車免許取得。そして車を購入。

その車の改造の為に、自身で消費者金融から借金をしたのだそうです。

私がまさに、プロミス、ほのぼのレイクで借金をした時です。

加藤は車、僕はパチスロ。

同じ借金、お金の価値観は人それぞれです。

その後、社内での人間関係による抗議の意味を込め仙台の会社を退職、上京。

私も東京の会社に高卒で就職しましたが、糞みたいな上司でした。

私も人間関係に抗議の意味で冬のボーナス貰って辞表を投げつけました。

加藤はその後、埼玉県や茨城県の工場などで派遣社員として働いていたそうですが、地元でもありませんし疎外感に苛まれていたそうです。

その頃から、インターネットに没頭するようになったのだとか。

今思うと、2000年の自民党加藤の乱により加藤・山崎は失脚。小泉が総理大臣になりました。

その小泉による「聖域なき構造改革」、派遣社員は小泉構造改革により急増し、切り捨てられてきました。

加藤智大も、正社員ではなく準社員。正社員の就職は難しい時代でした。

加藤の乱による加藤の乱。皮肉にも繋がってしまいました。

その後加藤は派遣社員となり、月給17万円。

消費者金融からの借金もあり、毎月の返済で苦しかったことでしょう。

その辛さを、インターネットで紛らわしていたのです。

私もSNSはしないものの、この個人ブログで暴言を吐き、ストレス発散をしています。

加藤の気持ちは分からなくもないのです。

2008年当時、SNSは日本にはなく(あったかもしれないがやっている人はそういなかった)、2ちゃんねるなどの掲示板で暴言など言いたいことを言い合っていたそうです。

私は全くネットは興味なかったですし、「ネット=オタク」というイメージがありました。

当時の私は「スタービーチ」という伝説の出会い系サイト掲示板くらいしか知りませんでした。

加藤はネットに夢中になり、それが関東へ上京後の日常となりました。

それまでは地元青森に帰った時もあったそうで、友人とカラオケに行ったり、人間生活はしていたそうです。

しかしいつの日からか…

加藤は掲示板に貼り付き、ネット中毒となってしまったそうです。

恐らくバーチャルな世界を楽しみ、色々と会話をしていたのでしょう。

やっと見つけた、自分の居場所。

そこで無視をされ、罵られ、加藤は精神的にキチガイになっていったのです。

加藤は、その自分を無視したネット民に対する「怒り」「抗議」の為に、秋葉原通り魔事件を起こしたと言われています。

警察による周辺の事情聴取で、職場の同僚がこんなお話をしていたそうです。

「当時の加藤は、食事の時も、昼休憩の時も、歩いている時も、携帯をずっと見ていた。」

「年がら年中携帯を横において見ていた。」

これ、どう思いますか。

異様ですよ、異様。

12年経った今、みなさんも、加藤になっていませんか。

食事の時も、スマホ見ていませんか?

ここでも何度も書いてますが、食事中にもスマホを見ながら食べている人に腹が立ってます。

飯食う時くらいスマホやめろやと。頂きますは声に出さんでもええからごちそさまでしたは言ってから帰ろうや。

私は食事スマホも歩きスマホもしません。

仕事でしかネットは使っていません。(パチスロの天井調べでたまにネットします)

そんな人間です。

12年前は異様だった光景、日常が、2020年の今では当たり前になっています。

むしろ、SNSをやっていない私にこう言う奴もいます。

「え?イマドキSNSやってないの?!ウケる!」

とキャバ嬢に言われたら絶対ドリンク奢りません!

別に加藤のように、ネット見ている人が全員匿名掲示板に悪口とか愚痴とかを書いている人ばかりとは思いませんが、ネットニュースやSNSでも人のコメントが気になったりしている人も多いでしょう。

私はパチスロのスランプグラフくらいしか気になりませんよ。

加藤は獄中の手記により、ネットの掲示板に殺されたと言っています。

私たちはパチスロに殺されないようにしたいです。

私がこのページで何を言いたいのかと言うと

この前、木村花さんの自殺によるSNS関する事を書きましたが、まさに秋葉原の「加藤の乱」から私たちは何も学んでいません。

本当に日本の政治はネットに対する認識が糞過ぎます。

オヤジクサイ政治家たちも本当に何も学んでいません。

私は思い出しました。

後だしジャンケンみたいですが、加藤の乱当時から、ネットの世界は規制すべき!と言っていました。

このままネット中毒になった人間を放置していいのか。

じゃあお前が何か対案出せよ!という人が多いです。

規制にも色々ありますが、もちろんどんな規制か、何の規制か、今全ては答えられません。

それを考えるのが政治家ではないのでしょうか。

加藤は掲示板に予告をして、事件を実行しています。

無料で、誰でも簡単に使えて、匿名で何でも書ける掲示板。

それが今、SNSになっています。

富田さんか忘れましたがファンに刺されたネットアイドル歌手?も居ました。法律変わりましたか?できましたか?ストーカー規制法?

彼女が死んでいたら法律が変わっていたのか。重症で済んだから法改正は不要?ふざけるな。その犯人思い出すだけでも反吐が出ますし犯人は14年後出所します。

ネットでイキがる人間たちが強くなってしまった時代が今、目の前にきてしまっています。

まさにコロナでイキがる今の中国と似ていませんか。

マーケットもマーケティングもネットの日常化で大きく変わりましたし、全ての世界観が変わったと思います。

日本のテレビ業界やマスコミも、そのインターネット・SNSの世界があたかも流行ってるかのように報道し、それが芸能人含めて当たり前になってきています。

これは悲しいことです。

もう二度と、マイケルジャクソンのようなスーパースターは現れないのでしょうか。

エンターテインメントでもネットが主流になってしまうと、価値が大きく崩れる気がしています。

SNSが主流の時代、非常につまらないでしょう。

ネットの世界はある意味、闇の世界であるべきです。

今まで陽の目を浴びてこなかった陰湿な人間たちが調子に乗ることができる。

それがネットであり、SNSの現状だと私は思っています。

加藤の乱から学ぶことは、バーチャルでグローバルな世界が正しい!それでお金が儲かる…などの教育を辞めること。

自国を守ることが大切であり、漁業や農業や畜産・酪農などが素晴らしいと教育し、そこに税金を投入し公務員にできれば素晴らしいですね。

電気も自然エネルギーに全ての力を注いで、各県に自然の電気施設を沢山作れば凄いと私は思います。

そうなれば気軽にパチスロが田舎の家でもできますし、ネットの素晴らしいところも活用出来ると思います。

都会に遊びに行くのは週に一度とかで良いでしょう。

地元の空き地は沢山ありますし、山なども放置している場所も沢山あります。

中国人なんかに土地を売らず、国や市町村が買い取り、そこにお税金を入れて農業や自然エネルギーに力を入れてほしい。

田舎の自然には外来種が多くいると聞きます。これも本当に許せないし爬虫類好きのキチガイたちが儲けの為に仕入れ、ブームが過ぎるとポイ捨て。これも全てネット通販やグローバル化のせいやないか。規制もあるかもしれないがザル規制で抜け道ばかり。

生活の価値観を昔に戻して、今とは違う方向性の未来へ。